商業出版の売り上げは企画が左右する!結果でわかる名プロデューサーの実力とは?

出版プロデューサー

本の企画から販売戦略までをトータルプランニングする出版企画・出版総合プロデュース会社のスタックアップです。

皆さんは平田静子という女性をご存じでしょうか?

これまでも弊社ブログで何回も取り上げてきましたが、あらためてご紹介すると「数々のヒット作を世に送り出してきた敏腕出版プロデューサー」であり、そして弊社の取締役でもあります。

平田はフジテレビへ入社後、扶桑社へ出向し宣伝部にてパブリシティ担当を務めます。その後全くの未経験から20年もの間扶桑社の編集長を担い、定年後には自身の会社を立ち上げ弊社スタックアップでも取締役プロデューサーに就任。彼女に企画プロデュースを依頼したいという出版希望者は後を絶ちません。

今回は彼女がこれまでに手掛けてきた数々のベストセラーをご紹介し、スタックアップの商業出版のレベルを平田の実績から感じていただければと思います。

商業出版の売り上げは企画が左右する~「チーズはどこへ消えた?」

「チーズはどこへ消えた?」が日本で発行されたのは2000年。原作はアメリカで2年前の1998年に既に発行されていました。その頃日本では「金持ち父さん貧乏父さん」「7つの習慣」などの啓蒙的な翻訳モノが流行っていて、平田自身も好奇心を掻き立てられたと言います。

寓話でありながら哲学的。そしてビジネスにも通じるものがある。その視点が魅力的に映り「私もファンタジー仕立ての翻訳モノを売り出したい!」と強く思うようになりました。そんな時に知り合いの編集者が持ち込んだのが、後に大ヒットとなる「チーズはどこへ消えた?」の出版概要でした。平田はすぐにその話に飛びつき、扶桑社から出版することになりました。

 

【商業出版は企画が命!】上場企業100社の社長に「スピーチのヒントに」と本を謹呈

次に「どうやってこの本を売り出すか」と言ったマーケティングの話になりました。この本が出たのは11月末のこと。どうしようかと考えていたある日、当時の扶桑社の社長がボソッと言ったそうです。

「経営者は年末年始にスピーチをする機会が多いから、きっとネタに困っているんじゃないかな」

その時に平田は思いつきました。この本はその挨拶のネタに使えるんじゃないか、と。そこで企業の社長さんにこの本を送ろうという話になり、上場企業100社の社長さんに「この本がご挨拶のヒントになればと思います」という手紙を添えて贈呈をしたそうです。

偶然、当時のソニーの社長だった井出さんがこの本を読んでくださり、社内の全体会議でこの本に触れ「いい本だから、ぜひ読んでみるように」と話をしたとのこと。ソニーの社長さんが話すことに世界が注目していますから、その発言が新聞に取り上げられました。日本中の社長さんはソニーの社長さんが読んでいるのだから僕も読まないと、と瞬く間にビジネスマンの間でこの本がどんどん広がっていったというわけです。そして想像以上の売れ行きとなり、すぐに重版することになりました。通常、重版は2万部が平均なのですが、なんと20万部でした。その後も20万、30万と重版していったのです。その数字を聞いた時これを売り切ることができるのかとドキドキしたそうです。

 

【商業出版は企画が命!】帯を書き換え、さらに売り上げを伸ばす

何度も重版がされ、売り上げがどんどん伸びていくなか、会社はさらなる攻めをすることになります。それは本に付ける“帯”を臨機応変に書き換えること。書店員から「ビジネス書として売り出しているのに、女性が買っていかれます」と聞けば、夫婦関係や育児に役立つ本であるということを帯に書き、新社会人がデビューする4月には社会人必読の本であると書くなど、その時の状況に応じて帯を書き換えました。そうやってどんどん購読者が広がっていったのです。この本はマーケティングが功を奏した1冊です。2万部のスタートから、現在では累計部数400万部を突破することになりました。

 

商業出版の売り上げは企画が左右する~「涙の谷」

 「松山ホステス殺人事件」の犯人逮捕は20年以上も前の話なので、知っている方は少ないかもしれませんが当時はかなりのニュースになりました。なぜなら犯人である福田和子は約15年間もの間整形を繰り返しながら逃亡し、時効成立まで21日というところで逮捕されたからです。このニュースを自宅で見ていた平田は、フラッシュが激しく明滅する中でもみくちゃにされているテレビの中の福田和子に釘付けになり

「いったいどんな気持ちなんだろう」

「15年間、どうやって逃げていたんだろう」

彼女に聞いてみたいことが次々に湧いてきたといいます。

【商業出版は企画が命!】自分を突き動かしたのは純粋に好奇心のみ

それまでも数々の本を出してきた平田にとって、その時の動機は今までにないものでした。それは純粋な好奇心。時代のニーズに合致しているとかプロデューサーとしての使命感とかそういうものは一切ありません。ただ知りたい。聞いてみたい…そして自分がこんなに知りたいと思っているのであれば、きっと他にも同様に思っている人がいるはず。この確信が、福田和子の手記を出版したいという思いに変わったのです。

 

【商業出版は企画が命!】細い糸でも手繰り寄せて何かをつかむ

 福田和子との繋がりは、当然のように全くありません。でも何とかなるという思いが平田にはあったようです。平田は扶桑社に出向する前に全国にネット局を持つフジテレビにいたので、福田の生まれ故郷でもある松山のプロデューサーに連絡をしてみることにしました。そしてテレビ愛媛のプロデューサーに「誰でもいいから少しでも彼女に繋がりそうな人がいたら紹介して」と頼んだら、何と福田がホステスをしていた頃の同僚にたどり着くことができたのです。しかも彼女は福田との面会が許されている唯一の友人でした。どんなに細い糸でも手繰っていくと何とかなるというのは、平田がそれぞれの人と最初に連絡を取る際に「突然の電話で失礼ではないか?」「親しくもない私の頼みなんて聞いてくれるのだろうか?」などと考えないからです。それよりも「何とかなる!」と信じ、行動に移す。このフットワークの軽さとそれを支える好奇心の強さが道を開いていくのです。

 

【商業出版は企画が命!】「普通のおばさん」という印象が一変して「何て頭のいい人」  

まず平田は福田の友人という女性に会いました。初対面でしたが、お酒を飲みながら少しずつ打ち解けていき、やがて福田和子に平田のことを伝えるという約束をしたのです。それから1か月後、念願叶って面会が実現しました。面会室に現れた福田の第一印象は「普通のおばさん」だったそうですが、福田は平田を見るなり「あんた、扶桑社なんだって?あんたのとこの本いっぱい読んでいるよ」と言い次々と本のタイトルを口にしたとのこと。しかも正確に本の内容や感想まで言うので、それが出まかせではないことがわかりました。他社から出版されている本の話もたくさんしたのですが、タイトルや著者などがすらすらと出てくる。なんて頭のいい人なんだろうと思ったそうです。それもそのはず、福田は逃亡中に名前を20回も変え、それぞれを完璧に使い分けていたのですから。

 

【商業出版は企画が命!】印税を遺族に渡して償う、だから書く必要があった

  面会のたびに平田は根気強く手記の執筆を頼みました。既に打ち解けた仲ですが、手記の執筆となるとやはりなかなか決心がつかなかったようです。

「手記を書いて、その印税をすべてお渡しするしかあなたにできる償いはない」

この提案には心を動かされたのか、ようやく福田は心を決めてくれました。執筆は福田本人がしたそうです。あれだけ本を読んでいて聡明な彼女だったら大丈夫だと思ったそうです。しばらくして弁護士経由で届いた原稿は期待を裏切らないものでした。原稿用紙360枚に渡って綴られた福田の半生は、内容の重さよりもその文章が完璧で修正の必要がなかったことに驚いたと言います。そして福田の原稿はそのまま少しもいじることなく本になりました。

福田和子に関する書籍は他にもありますが、本人が書いた唯一の本が「涙の谷」だと言います。好奇心から始まった平田と福田の関係。福田を執筆に向かわせたのは、平田が足繫く福田の元に通い、交流を重ね、彼女の心を開いていったからだと思います。「涙の谷」という本は、もしかしたら一生語られることのなかったある女性犯罪者の心をそのまま映し出した奇跡の一冊なのかもしれません。

 

商業出版の売り上げは企画が左右する~「象の背中」

 秋元康を知らない人はおそらくいないでしょう。数々のヒット曲を生み出す音楽プロデューサー兼作詞家として、そしておニャン子クラブやAKB48の仕掛け人として知られた芸能界きってのマルチな才能の持ち主です。

平田はフジサンケイグループの傘下にある扶桑社の宣伝部にいたので、秋元氏とはおニャン子クラブの書籍の宣伝を通じて交流がありました。付き合いのあった頃から秋元氏の仕事に多大な関心を寄せていた平田は、何か彼ともっと面白い仕事ができないだろうかと考えていたそうです。しかし次々とヒットを生み出し時代の寵児ともてはやされていた秋元氏には、日常的に方々から仕事の依頼があります。数多あるオファーの中のひとつになってしまっては埋もれてしまう。圧倒的に企画で他と差をつけなくては目にも止めてくれないと思い「秋元さんが今までやってないことを提案してみるのはどうだろう」という発想に行きつきました。

【商業出版は企画が命!】新聞小説という新しい試みは本人の好奇心も刺激した

 好奇心旺盛な秋元氏ならば、この「やったことのないこと」というアプローチは効果的なはず。彼にとっても未知の領域で、且つチャレンジしがいのあるもの。それは一体何だろうと考えたときに“小説”という領域を平田は思いつきました。しかもただの小説ではなく新聞小説です。作詞もやられている方なので文章を書くことには抵抗はないはず。そして新聞小説は作家としての知名度や実力がないとできないものなので、これが実現すれば秋元氏にとっても大きな実績になります。

平田はさっそく秋元氏を訪ね「新聞小説をやりましょう!」と提案しました。実はこの時、平田はまだどこの新聞社にも話をつけていなかったのですが、まずは秋元氏を口説くことが最初だと思っていたので迷わずに話をしに行ったそうです。そして思った通り秋元氏は「面白そうだね、やろうよ」と快諾してくれました。それからすぐに産経新聞社に企画を上げたら「ぜひお願いします」となり、そこからはトントン拍子で話が進んだそうです。

 

【商業出版は企画が命!】内容の候補は2つあった。より共感を持てる方に決定

 小説を書くにあたって、秋元氏には内容の候補が2つあったそうです。ひとつは中年男性がなぜか突然女性にモテ始めるとう話。もうひとつはガンで余命宣告された中年男が、残された時間で今まで深く関わりのあった人に別れを告げに行き、そして最期を家族と迎えるという話。

前者に比べると後者はシリアスで重いテーマですが、こっちの方が読者の共感を得られるのではないか考え、後者に決定しました。ちなみにタイトルの「象の背中」とは秋元氏本人が付けたもので死期を悟りひっそりと群れを離れる像の姿をモチーフにしたそうです。どちらも中年男性が主人公なので、もしかしたら秋元氏にとっても描きやすい人物象だったのかも知れませんね。

 

【商業出版は企画が命!】好奇心だけではなく相手の気持ちになって考えること

 平田は本の企画を立てる時に“好奇心”がきっかけになることが多いそうですが「象の背中」は少し違いました。まず「秋元氏と仕事がしたい」と思い、その次に「秋元氏は何に関心を示すのだろう。何をやってみたいのだろう」と相手の気持ちになって考えました。そしてまだやっていないことへの挑戦という発想に行きついたそうです。企画者の独りよがりではなく、相手の気持ちに添い視点を共有して本を創り上げる。そのようなしなやかな姿勢こそが平田のやり方なのかもしれませんね。

 

商業出版の売り上げは企画が左右する~「CAZ」

今のようにインターネットが個人の手になかった1989年に創刊された情報誌「CAZ」。1989年といえばバブルの崩壊を思い起こす人もいるでしょう。そう、CAZはまさにバブル崩壊後の経済低迷期を共にした雑誌で、その根底には女性の“欲“を刺激して世の中を少しでも明るく盛り上げていこうという趣旨がありました。

 

【商業出版は企画が命!】情報は雑誌頼りの時代。役に立つかどうかで情報の価値が決まる

 今でこそ必要な情報はスマホで拾う時代ですが、CAZが創刊された30年前は新聞や雑誌などの紙媒体で情報を拾うことが一般的でした。旅行に行くなら「地球の歩き方」、映画やコンサートに行くなら「ぴあ」など、まるでバイブルのようにそれらを持ち歩く若者が多くいたのもこの頃です。旅行とまではいかなくとも週末にちょっとおいしいお店に行きたい、おしゃれなお店でデートしたいなどというような、日常をワンランクアップさせるような情報も求められ、「Hanako」「TokyoWalker」など首都圏の都市情報を専門とする雑誌も数多く創刊されました。

 

【商業出版は企画が命!】情報の羅列が情報誌の使命ではない。量より質を追求

 CAZという雑誌が存在したのはまさにそんな情報誌が他にも多く存在していた時代で、それらの中から頭一つ抜けるには雑誌のコンセプトを他と違うものにしなければならない。「今までにない情報誌を」そう思って平田はCAZという雑誌の戦略を立てました。そして考えたのは情報の“量”で勝負をしないということです。量で勝負をしている雑誌は他にもある。しかしCAZは女性をターゲットにしているので、女性がワクワクするような誌面は情報の羅列ではないことを直感的に知っていました。では何で勝負するのか。それは感情に訴えるような圧倒的な視覚情報。写真を大きく使用した大胆な構成で、見た瞬間に「食べたい!」「行きたい!」と欲をそそられるような誌面による雑誌を目指しました。文字情報で埋められた誌面が主流だった情報誌の中で、見開き一面で一つの場所しか紹介されていないような誌面構成は異色だったといいます。

【商業出版は企画が命!】テンポラリーな対談企画で読み物としての強度も持たせる

 CAZが異色だった点は他にもあります。それは情報だけではなく読み物としてのコンテンツも雑誌に取り入れたことです。扶桑社はフジサンケイグループなので芸能人とのパイプもあります。そこで誌面に華やかさを加えるため月9の主演クラスの女優や俳優を迎えた対談ページを毎号掲載したそうです。当時の情報誌には芸能人が登場する企画、ましてや対談企画などはどこを見渡してもなかったそうで、そういう意味でCAZは頭一つ抜けた雑誌として感度の高い女性たちから支持されました。

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平田の仕事はこの他にもたくさんありますが、一貫して言えるのは売れる本というものが内容の魅力だけではなく、企画力によっても成立しているということです。スタックアップには商業出版を成功に導くためのノウハウと豊富な実績がありますので、熱い想いを出版という形で世の中に伝えていきたいとお考えの方は是非一度ご相談下さい。

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