驚異的な出版マーケティング事例②~「涙の谷」

2020年2月18日

本の企画から販売戦略までをトータルプランニングする出版企画・出版総合プロデュース会社のスタックアップです。

 

今回は、当ブログですっかりお馴染みの“スーパー出版プロデューサー”平田静子のマーケティング事例第2弾です!弊社の取締役でもある平田はこれまでに数々のヒット作を生み出してきましたが、その裏には数々の挑戦があり、失敗があり、そしてドラマがありました。今回は彼女が手掛けた「涙の谷」について、出版に至るまでの長い道のりをご紹介したいと思います。

 

時効成立まで21日でまさかの逮捕

「松山ホステス殺人事件」の犯人逮捕は20年以上も前の話なので、知っている方は少ないかもしれませんが当時はかなりのニュースになりました。なぜなら犯人である福田和子は約15年間もの間整形を繰り返しながら逃亡し、時効成立まで21日というところで逮捕されたからです。このニュースを自宅で見ていた平田は、フラッシュが激く明滅する中でもみくちゃにされているテレビの中の福田和子に釘付けになり

「いったいどんな気持ちなんだろう」

「15年間、どうやって逃げていたんだろう」

彼女に聞いてみたいことが次々に湧いてきたといいます。

 

自分を突き動かしたのは純粋に好奇心のみ

それまでも数々の本を出してきた平田にとって、今回の動機は今までにないものでした。それは純粋な好奇心。時代のニーズに合致しているとかプロデューサーとしての使命感とかそういうものは一切ありません。ただ知りたい。聞いてみたい。それは彼女が自分と同じ女性で、しかも2人の子どもがいる母親だったという共通性も少しは関係があったのかも知れません。そして自分がこんなに知りたいと思っているのであれば、きっと他にも同様に思っている人がいるはず。この確信が、福田和子の手記を出版したいという思いに変わったのです。

 

細い糸でも手繰り寄せて何かをつかむ

福田和子との繋がりは、当然のように全くありません。でも何とかなるという思いが平田にはあったようです。平田は扶桑社に出向する前に全国にネット局を持つフジテレビにいたので、福田の生まれ故郷でもある松山のプロデューサーに連絡をしてみることにしました。そしてテレビ愛媛のプロデューサーに「誰でもいいから少しでも彼女に繋がりそうな人がいたら紹介して」と頼んだら、何と福田がホステスをしていた頃の同僚にたどり着くことができたのです。しかも彼女は福田との面会が許されている唯一の友人でした。どんなに細い糸でも手繰っていくと何とかなるというのは、平田がそれぞれの人と最初に連絡を取る際に「突然の電話で失礼ではないか?」「親しくもない私の頼みなんて聞いてくれるのだろうか?」などと考えないからです。それよりも「何とかなる!」と信じ、行動に移す。このフットワークの軽さとそれを支える好奇心の強さが道を開いていくのです。

 

「普通のおばさん」という印象が一変して「何て頭のいい人」  

まず平田は福田の友人という女性に会いました。待ち合わせは夜中の2時に居酒屋で。初対面でしたが、お酒を飲みながら少しずつ打ち解けて行きました。福田もそうですが、友人の彼女も平田もみんな2児の母、そして離婚経験者。彼女は最初平田のことを「平田さん」と呼んでいましたが、店を出るころには「静ねえ」に変わっていました。そして、福田和子に「静ねえ」のことを伝えるという約束をしたのです。それから1か月後、念願叶って福田との面会が実現しました。面会室に現れた福田の第一印象は「普通のおばさん」だったそうです。整形したといっても、お世辞にも美人とは言えない。ただ顔を変えることを目的として整形をしたのだろうか…。福田は私を見るなり「あんた、扶桑社なんだって?あんたのとこの本いっぱい読んでいるよ」と言い、次々と本のタイトルを口にしたそうです。しかも正確に本の内容や感想まで言うので、それが出まかせではないことがわかりました。他社から出版されている本の話もたくさんしたのですが、タイトルや著者などがすらすらと出てくる。なんて頭のいい人なんだろうと思ったそうです。それもそのはず、福田は逃亡中に名前を20回も変え、それぞれを完璧に使い分けていたのですから。

 

本が読みたい、それは自由への渇望

福田との面会は複数回に渡りました。面会のたびに平田は本を差し入れていたそうです。それは福田の希望でもあったのですが、本を手掛かりにして世界との接点を持ちたかったのかもしれません。平田と福田は面会を重ねるごとに理解し合い、打ち解けていったと言います。お互いの家庭のことなど女同士おしゃべりを楽しみ、そして15分という面会時間は毎回あっという間に過ぎていったといいます。

 

印税を遺族に渡して償う、だから書く必要があった

 面会のたびに平田は根気強く手記の執筆を頼みました。既に打ち解けた仲ですが、手記の執筆となるとやはりなかなか決心がつかなかったようです。

「手記を書いて、その印税をすべてお渡しするしかあなたにできる償いはない」

この提案には心を動かされたのか、ようやく福田は心を決めてくれました。執筆は福田本人がしたそうです。あれだけ本を読んでいて聡明な彼女だったら大丈夫だと思ったそうです。しばらくして弁護士経由で届いた原稿は期待を裏切らないものでした。原稿用紙360枚に渡って綴られた福田の半生は、内容の重さよりもその文章が完璧で修正の必要がなかったことに驚いたと言います。そして福田の原稿はそのまま少しもいじることなく本になりました。

 

好奇心からの関係が、やがて信頼関係へ

本が出た後も平田と福田のやりとりは続きました。本を送り、手紙を送り、お互いの近況などを語り合っていたといいます。

「出所したら温泉に行きましょうね。楽しみにしています」

ある時届いた手紙にこう書いてあり、平田は胸を突かれました。もともとは平田の純粋な好奇心から始まった交流です。それは15年近く逃亡を続けた犯罪者の心を知りたいという好奇心。そしてその胸中を本にすることをゴールとした関係。しかし、福田にとってはそうではなかったのです。福田にとって平田は心を許した友人になっていたのです。この認識の違いに衝撃を受けるともに、彼女の思いを受け止めそれに寄り添っていこう―平田はそう決心しました。

しかしその夢は叶わず、福田は獄中で亡くなることになります。57歳でした。もし彼女が生きていたらどんなだろう。一緒に温泉に行っただろうか。今でも平田は時々考えると言います。

 

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福田和子に関する書籍は他にもありますが、本人が書いた唯一の本が「涙の谷」だと言います。好奇心から始まった平田と福田の関係。福田を執筆に向かわせたのは、平田が足繫く福田の元に通い、交流を重ね、彼女の心を開いていったからだと思います。「涙の谷」という本は、もしかしたら一生語られることのなかったある女性犯罪者の心をそのまま映し出した奇跡の一冊なのかもしれません。