ベストセラー人気著者に聞く!売れる本の作り方。〜自社ビルを買うまでに発展したクラフトバンド〜
スタックアップ編集部です。
今回も前回に引き続き、クラフトバンドを用いたバッグやかごの作り方のレシピ本でベストセラーを生み出した「松田裕美」さんのインタビュー第2弾です!
娘さんの交友関係で母親同士まで仲良くなった結果、松田さんの個人的な趣味程度だったクラフトバンド手芸をママ友に教えたことで、またたく間に大ヒットとなったのは前回お話しました。その後教室は大盛況。反響が大手ホームセンターからも「教室を開いてくれ!」と頼まれるまでになってしまった松田さん。
当時、松田さんの目下の課題は100人を超えるほど拡大してしまったクラフトバンド教室で、人数分の材料を用意しなくてはならないことでした。
インタビュアー(以下、イ):さて、前回少し伺いましたが、その大量の資材をどうやって手に入れたのですか?
松田さん:とにかくどうにかしなくては!と思い、どこに発注すればいいか分からずNTTさんにお願いして北は北海道、南は沖縄まで日本全国のタウンページを取り寄せました。
当時は「iタウンページ」の存在を知らないどころか、パソコンも持っていませんでした。
家にあるのは電話1台だから、これは資材を扱っていそうな会社・店舗に片っ端から電話するしか無いなと。
イ:相変わらず発想と行動力が想像を超えています。日本全国のタウンページとは何冊になるのでしょうか。
松田さん:6畳の部屋が腰くらいまで埋まります。(笑)
赤ペンを片手に上から順に電話をかけました。すると、とある資材屋さんが私が探していたクラフトバインドは、「米帯(べいたい)」と呼ばれるもので、静岡県で生産していると教えてくださったんです。
昔から米袋を縛る紐として作られていたもので。
それで余ったものを使って、農家の女性たちが小物を作っていたそうです。
ともかく「静岡県」という事が分かったので、今度は静岡県の資材屋さんに片っ端から電話をかけました。(笑)
それで何となく当たりをつけて、私も子供をおぶってレンタカーを借りて、1社ずつ業者さんを回っていくうちに、手芸用にカラフルに色がついた米帯を作っている所を突き止めました。
まだその時には会社にしようなんて発想もなく、一個人でしたので名刺もありません。紙に名前と住所だけ書いて、「ここに送って!」って。向こうもびっくりしたでしょうね。
起業へのキッカケは子供のため
イ:クラフトバンドをどのタイミングでビジネスとして始めたのか、キッカケが気になります。
松田さん:教室の人気が出てきてあちこちで開いていたら、当然ながら目立ってしまって…。
私だけなら良いのですが、娘にまで気苦労を掛けるようなことだけは避けたかったんです。
ここまで来たら「自分がしっかりしなければ」と、子供たちのおかげで一念発起。ビジネスとしてしっかり成立させるため事業にしました。
起業するにも何もわかりませんでしたから商工会議所に相談するところからです。はじめから株式会社ではなく「個人事業主」から始めたのですが、立派なお小遣い帳みたいなものを渡されて「青色申告?白色申告?なんですかそれは」という状態。そこから、なんとか2年くらいで会社として登記するに至りました。
当初は米帯だけ沢山仕入れて売ろうと思っていました。自分がこれだけ欲しいものだから「絶対に売れる!」という自信があったんです。
クラフトバンドはそもそもがハードルが低く、ボンドとか洗濯バサミとか全部家にあるものでできる。特にM’s factoryがある千葉県の一宮辺りは農家の方が多いですし、時間にゆとりのある高齢者の方々にとってちょうどいい趣味になった。
都会を除く他のエリアでは行けるのでは、と手応えを感じていました。
それで間もなく、事業にするタイミングに初めてのネットショップをオープンしました。
パソコンの使い方もよくわからない状態だったので、ちょうど近所でパソコンショップを閉めてリタイアしたおじいさんに「ホームページ作って!3万円で!」ってお願いして。
今考えたらずいぶん偉そうでしょ〜。(笑)
当時1ヶ月のお小遣いが5千円だったから、3万円は私にとって大金だったの。
こんなにあげるんだから!って思ってた。
おじさんも「こんな紙のヒモ誰が買うんだよ…」ってブツブツ文句言いながらも、ECサイトの軒先店舗に出品して。そしたらその日のうちに7万円の発注が入って、「ほらね!」って言ったの。ははは(笑)
イ:凄い…(笑)
松田さん:でも、裏側はとってもアナログでした。注文が入ったらその都度おじいさんから私の携帯に連絡してもらって、100円ショップで買った納品書を書いて、「今から発送します」と、急いで包んで佐川急便で配送。
規模が大きくなってくると仕入先も1つでは足らなくなってきて、3ヶ所くらいから米帯を仕入れるようになりました。
イ:何だか目まぐるしい発展ですね…。お話を聞いていると、常にできることに最大限挑戦しているのが伝わってきます。
松田さん:それから扱う量が増えるに従って、スペースの問題が出てきてしまいました。
在庫をどこに置くのかという話です。そのころ夫から怪しまれてきたので、近くにアパートを借りました。
イ:あ、例の。ご主人に内緒にしていたのはこの時点でも。
松田さん:だってね!妻が知らない間に株式会社立ち上げてたら絶対何か言われるじゃない。
でも、気が付いた時にはある程度軌道に乗ってしまっていたら文句の言いようがないでしょ?
だから「全部教室で使うのよ」って言い張って、パートさん3人も雇ってるのに。
イ:そんな人松田さん以外に聞いたことないですよ…。
松田さん: アパートの次はログハウスに移転して、半年ごとに1棟ずつ増やして。それでも足りなくなったので向かいの空き地に体育館ほどの建物を不動産屋さんに建ててもらって賃貸で借りていました。そこを生産ラインの拠点に2〜3年営業を続けました。
最終的に6棟借りていましたが、ある日突然、諸事情で出ていくことになるんです。
詳細は省きますが、「今月中に出ます!」って啖呵を切ってしまうほどの出来事があり、内心言ってしまった手前「どうしよう…」とは思いましたが作業着エプロンと、つっかけサンダルのまま近所の不動産屋まで走って、そのまま銀行に行ってビルを購入しました。
頭金なしで1億円。改修するのにも、さらに1億円。
それがこのビルです。
すぐ会社に戻り「今ビル買ってきたから!」ってみんなに伝えたら「社長がビール買ってきたって!」って言われたのを覚えています。「『ビール』じゃないから!『ビ・ル・ディ・ン・グ』だから!」って。(笑)
それでもまた2年位で狭くなったので、卸団地の650坪の物件を受注センターにし、出荷はそちらに移しました。
イ:松田さん。いつも決断が早すぎます!!こちらまで清々しい気分ですよ!
お聞きしたいことは山ほどありますが、ここから先はまた次回ご紹介したいと思います。
このあと、「クラフトバンドエコロジー協会」(クラフトバンド手芸の指導者を育成する一般社団法人)が立ち上がるまでの苦悩と奮闘を描きます。
そちらもお楽しみに。
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