”超大物出版プロデューサー”、平田静子の半生とその企画力に迫る。 〜駆け抜けた書籍・雑誌編集長時代〜

株式会社スタックアップコラム編集部です。
弊社は、本の企画〜販売戦略までをプランニングする「出版企画・出版総合プロデュース」の会社です。
 
さて、弊社の取締役プロデューサーである平田静子に迫るインタビュー企画第2弾。
スタックアップの中の人、さらに本づくり〜出版業界の裏側をご紹介することで、これから出版をお考えの方々にとって役立つ情報発信をしようと立ち上がった連載企画です。
 
前回のお話では平田が新卒でフジテレビへ入社した当時、女性のキャリアアップが非常に珍しかったこと、そしてその風潮の中一段ずつ階段を昇っていった平田ならではの仕事への向き合い方をお伝えしました。
 
ここから彼女と「出版の仕事」との出会いが始まります。
それからのお話をどうぞ。
 

予期せぬ扶桑社への出向


インタビュアー(以下:イ):静子さんのフジサンケイグループ グループ管理セクションでのお仕事までを前回お伺いしました。それから出版業に携わるまでにはどのような岐路があったのでしょうか。
 
平田:35歳の時、グループ内で出版事業を手がけていた会社が社名変更し、「株式会社扶桑社」が生まれました。私はそのできたばかりの1日目に、扶桑社への内示が出され出向となりました。
 
「え〜〜〜!テレビ局から…、扶桑社!?何よそれ!」という気持ち。
周囲の人たちからは「可哀想ね、嫌気が差して辞めないでね!」なんて言われながら、もう傍から見たら左遷人事です。
 
それまではただのお茶くみであっても、「フジテレビの平田です」と言えばどこにでも通用していたのに、誰も知らない会社に行き、そこで宣伝部のパブリシティ担当を担うことになったのです。1人で。
 
イ:1人で!ちなみにそれはどういった業務なのですか。
 
平田:お金を使わずに本の宣伝をする業務です。
この時になって、フジサンケイグループの皆さんを知っているというそれまでの人脈が大いに生きてきました。
 
本を出す時には
「あ!これ産経新聞の婦人面にあるといいなぁ」と思ったら
「〇〇さ〜ん。私、今扶桑社に移ったんだけどちょっと載せてくれません?」と電話をして新聞に載せてもらったり、番組プロデューサーに連絡して番組で取り上げてもらったり。
直接お願いすることができたから良かった。その仕事を7年間担当しました。
 
イ:それはすごい…。静子さんだから為せる技だったわけですね。
 

またも突然。編集長に任命。


平田:それで42歳になって急に、編集長をやれと言われたのです。これもいきなり。
 
書籍の編集長なんて普通は編集者として経験を積んだ人がやることなのに、
「そ〜んな。突然編集長なんてできまへんわ。」と軽くお断りしたのですが(笑)
「プロデューサーやるつもりでやりゃあ何とかなるって!ダメだったらすぐ変えるから!」
と言われて素人が書籍の編集長になったわけです。
 
いきなり管理職でいきなり部下が10人。しかも私以外の全員がプロフェッショナル!
編集者が10人いるようなところに素人の編集長だもの、すごいキャスティングでしょ?(笑)
 
イ:そこでの苦労ってどんなことでしたか?
 
平田:それは当然何もわからないこと。
だって本の作り方も知らないんだもの。作家さんも知らないし人脈もないし。
 
イ:どこから手を付けていったのですか?
 
平田:自分の1番の強みはなんだろうと考えて、テレビ局にいたからテレビの本にしようかなと。それでヒットしたのが、
 
「もう誰も愛さない」
 
テレビドラマを小説化した本です。40万部の大ヒットとなって、そこが始まり。
 
編集部というのは3編集部くらいあって、第1編集、第2編集、第3編集と。
私は第3編集の編集長だったので扱うジャンルは何でもよかったんだけれど、昔からいる人には「テレビやラジオの本なんて出版じゃありません!」と言われたこともありましたよ。
 
イ:そういった意見があっても振り切れたのはどうしてですか?
 
平田:売れてなんぼでしょと思っていましたからね。というより、望まれているから売れる。
いらなきゃ人は買いません。買うってことは、求められているということですから。
 
それでテレビやラジオの本で上手くいっちゃったものだから、雑誌もできるでしょ!といわれて4年後に書籍の編集長から雑誌の編集長になりました。
 
そこでCAZというOLのための一次情報誌を手がけました。当時は携帯も何もなかったので一次情報がすごく重要な時代で、オズマガジンとか東京ウォーカーといった情報誌がとても流行っていました。皆そこから情報を取っていたんです。
 

書籍と雑誌の編集長は全く違う


平田:CAZは特に大変で、月に2回発行していました。月刊誌を2回作っているのと同じ。
校了と入稿が同時期だったりするので、こっちの校了見ながらあっちの入稿も見て…という感じですっっっごい大変だった。よく明け方の青デニ行こうとか言ってたもん(笑)
知ってる?青デニって。
 
イ:わかりません。
 
平田:青山にあるデニーズ(笑)
朝、チュンチュン鳥が鳴き始めた頃に「編集長、朝ごはん食べましょうよ〜!泣」なんて言われてよく行きましたね〜。それで一旦帰って着替えてまた会社来て、という生活でした。
 
イ:いやぁ〜…。半端じゃないですね。
 
平田:このときも一番困ったのは雑誌の作り方がわからないってこと。
「編集長〜、デザイン回しお願いしま〜す」って言われても、デザイン回しってなんのこっちゃ!?という状態だったから全部部下に聞いて教えてもらいました。
 
できること、できないこと、できるけどやらないままにしていること、何もわからずに最初は部下から言われるがまま受け入れるしかできなかった。
 
イ:しかし、ある意味業界の常識がないことが上手く作用したこともあったのではないですか。
 
平田:そうなんです。
CAZで温泉の特集があったときに、最初の見開きで湯気の立つ温泉の写真をドーン!と大々的に掲載したことがありました。そしたら他の編集者から「平田さん、これ情報誌ですよ?情報を沢山載せてなんぼです。なんですかこの温泉の画は。」と言われ。
 
でも、私は思わず温泉に入りたくなるシズル感がどうしても出したかった。
それまでの常識であれば文字情報を沢山載せることに意味があるという考えだったと思いますが、私は食べ物だって美味しく見せたかったし、読者に近い感覚で「うわ〜食べたいっ!」という感情を見る人に与えたかったんです。
 
そういうやり方で雑誌が売れだし、それまでどこか素人扱いされていたのですが、皆が私の言うことに耳を傾けてくれるようになりました。
 
イ:映画みたいなストーリーですね。
 
平田:そのとき自分の中にできた哲学は、やっぱり勝たなきゃダメだってことです。
勝てば官軍という言葉がありますが、経営者とかリーダーは勝たないと安心して人がついてきてくれない。というのを身に沁みて感じた出来事でしたね。
 
さて、少しずつ「平田静子」の人間性が見えてきたのではないでしょうか。
聞くと必ず勇気を与えてくれる彼女の話。
次回、CAZの人気が急成長した数々の企画の出処について伺ってみようと思います。

 

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